この国は、被害者の方がうつむくという何とも耐え難い悲しい国。しかしそこを自分の力だけでは無理だからみんなの知恵を合算しながら切り開くという方法しか今の処なくて、いじめに負けない人生論にも拍車が掛かってくる。なぜ、被害者のほうがうつむくのか?それはとんでもない行き違いがあるからでしょう。面の皮の厚いとんでもない人々が実際にいるからでしょう。本当なら、被害者は手厚く観護を受けるべきで、実際社会に出ることさえ、怖いという人々にどんなこころのケアがあるか、十二分の配慮も必要かと思案します。名目上これは国の機関の管轄になるものの、国は大きな発言が実際には出来ません。かつていた優秀な若者をオチコボレとして認定し教育のゴミとして捨て去ったからです。教育の恥じですが、この恥じにもはやキャロルは触れません。自分がクリアしたから?いいえ、過去に拘ってばかりでは、責任のなすりつけ合いになってしまうのがオチだからです。これからの教育にいじめはもはや存在しないでしょう。キャロルはみんなの身代わりになって痛め付けられました。存在さえ消されかけたのです。しかし迷わず再びペンを執りました。自信を持つことがいかに大切か教えられたからです。