Ss178

 僕と姉は全く同じ場所で母によって放たれる。やはり深淵の感性を母は持っていたとしか言いようがない。いや、軽はずみには言うまい。他の母親たちがそれを真似したら大変なことになるからだ。中央橋バス停で降りて浜の町アーケード入口を少し歩いた場所で母は突然僕の手を振りほどく。三歳位だ。僕もいきなりなので暫く何が起こったか分からずどんどん人の波に後ろから押されるように前に進む。しかしこれではどんどん母から離れて行くことに気が付き茫然とする。母は離れた場所で僕の様子を伺っていたなど、その時は知らない。僕は泣くことだけが身を守りうると咄嗟に自分判断し、わんわん泣いて周囲の人に捕まえてもらう。その時に、母はやっと、出て来る。この子のお母さんですね?とそう母は問われて、はい、と答えことなきを得る。母は全く同じ行為を同じ場所で姉にも施したという。それを聞いた時に僕は確定当惑する。そしてなぜ、このような施策なのか?僕には年齢を増すごとに理解が出来て来た。母自体が精神的に迷子だった可能性がある。海軍大佐の娘が戦後のどさくさに紛れて生きるなど、想像を絶する。そこではあらゆる常識はひっくり返って天地無用の掟破れた世の中だったと・・・。僕は人生に於いて母に擁護してもらう場面が多かった。そういう迷い子の息子が迷い子であるケースは可能性として大。父と違って母には教育者としての本当の相克があったと僕は睨む。民主主義なんか糞喰らえ!!の反発が母にあったからこそ、矛盾の火の粉も同時に被ったのだろう。