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 僕の出番も毎回すり減っていると思うと寂しいようだが、振り返って点検すると重複の部分も多くて姉でなくとも驚く。ほぼ同じ内容を違う切り口で展開している文章が沢山ある。中々一気にそれを詰めることは困難だが言いたいこと、主張となるテーマ、根本と呼ばれる文脈の意図は同じ。ここまで言い切った姉の文章の核となるものは一応みんなに理解は出来たのか?って落ち付く。ぐーたらな一面が第一に来る。決して真面目一筋ではなかった。充分遊び充分睡眠も摂って今あるのが姉だろう。僕がいなくなって今度は僕達の母を描くという時に姉はどうするのだろう。最期まで介護をしたのは僕。それなのに何を主軸に語るのだろう。姉には夢が一杯過ぎて、そこから零れ出すのほどの文脈を書き出す所存だろうけど僕はあえて一石を投じたい。人の一生を決めるのは日常茶飯事なのだ。数行の文章が支える訳ではない。何を母が望んでいたのか?本心ではどこに希望を見出していたのか?それは介護していた僕にしか読めない。いや・・・そこに大きな心差〔しんさ〕が生じている。これは各人の心の読み違いで新語として計上しておこう。心の奥底にある本人の希望と周囲が勝手にこうだろうと想像している希望の差を指す。母の本当の野心を姉が読み込んでいたとするのなら僕も興味深い。何も言いはしなかったが母が姉に希望を託していたのなら僕もそこは考慮する。