イエローダイヤ・マンyd728 久し振りに朝っぱらから執筆している。この気持ちの差異は格別だ。このままずっと朝の時間帯が獲れれば僕にとって快適で朝の方が慣れているということが起因するのだろう。この時間帯が僕をより良く推移させる。いつもかつも僕は人に左右されて来たと自分自身をふがいないとまで思わない。こんな僕が重宝されるのならそれはきっと大切なことだろうと、まるで満を持した時間のように僕は繰り出した。もしもそのふがいなさが現れるとすれば、僕が本当に書けなくなった時だろう。しかも原因は自分にある。何のことない日常の中で、接点を見つけ現実を凝視することは、作家でなくとも皆がやるようになって、それがこれだけのブログ人口を躍進させて来た。個人のしたためるものに、真価が宿るようになって軒先も現れた。個々のブログ亭だ。これも各人の努力の賜物だろう。もはや、収入証明書でしか人を見なくなった若者もどういう訳か、そうではない一面を露にすることがある。その時こそが、悪循環からの脱却だろう。もはや、のらりくらり生きて行けばいいだろうなんて信じられない。僕もそろそろ貧乏神とはおさらばしたいって漢字を替えてみること様々チャレンジしたのだが、貧乏の二文字捨て難い。よく見ると貧しさに乏しいとも獲れる。この二文字が僕を以前より慕っているのだ。