昨日は実のある一日で高原剛一郎先生の講義を拝聴して改めて思ったのが旧約聖書の創世記の凄さなのだ。キャロルは一括りにユダヤ人とはいいたくはない。ユダヤ人がでもなぜ、行くところ、行くところで吊し上げられないといけないか?とても悲しくてそういう歴史の転々を昨日の講義は網羅し、キャロルはユダヤ人って一括りにはできないけど、地球平和にこの民族の貢献が誰よりも大事なことが分かった。つまり、彼らは必要とされるために、英知を注ぎ、みんなから一目置かれるために努力をした。それは、とても口では表すことの出来ない血の精進だったのだ。ユダヤ人の能力は他民族に比べ並外れ、何を隠そう、ベンジャミンさんもユダヤ人だという。何だか嬉しくなる。みんなが自分をあけっぴろげに語ることは大事だ。フランク&カインドに。ケサボイだ。そして祝福をキャロルも受けたい。あの偉大なアブラハムのように。ショットハイは昨日の地震に怯えた浮世の芭蕉ことキャロルを詠もう。本当にこのネットルームにいてもツヨイ揺れを感じた。ほなあお願いします。くわばらや 浮世の芭蕉も 屈むかな〔桑原だけは雷から守ったように、才玉キャロルは埼玉を必ずや災害から守るだろう、名前が同じというのが大きい〕