俺とキャロルの共通項として意外や意外、ふたりともまとも・・・。あいつもやっぱり五人の子供を育て上げただけあって、緻密な考察に俺がドキっとすることがあった。子供をよく観察しているのだ。もちろん書くための題材であったからその観点は作家の眼差しだったといえよう。彼女が嫌ったのは何を隠そう異端なのである。この俺もそうだ。ふたりともそういう出で立ちでありながら異端と深く関わることになる。俺はあの二十一世紀パソコン問題でずっこけ、あいつはあいつで辛い事件がある。投稿文をそのまま新聞社からファックスで送り返されるという悲惨な事件である。しかしあいつは物書きとして不死鳥のように甦った。辛い時期、そのことを考えず、一年ほど筆を絶ったことが良かったのだろう。しかし俺はそうはいかなかった。二年間を耐え忍び、降格のまま退職金を手にした。耐えるとか我慢するということが出来ないなら、この社会では恐らく自分を輝かすことは不可能。そして異端を料理する・・・こういった裏ワザはおいそれとはいかない。国際社会で異端は形を変えて潜在する。その体系が様々でもひとつキーワードがあると思うのだ。愛される異端になれ!!ということだろう。デルスカイしておこう。異端ラッシュだ。