キャロルは改めて若者のクルマ志向を論じてみた。要するにクルマはめくるめく思い出箱。この概念は外せない。このクルマに拘り生涯の伴侶として持つことは男の子のユメ。クルマを愛さない男は減る傾向とはいえ、キャロルにとってのクルマはやはり人生そのもので、もしもクルマが無かったら・・・いやあ、そういうクルマ無しの人生を一年半か二年は過ごすけど、今思い出してももどかしく、ほろ苦い。点数が全部なくなってしまいやばかった。それで乗ることを避ける方が一番無難だとそう解釈した。人が運転のクルマに乗るのこそ最高だ。長男が最近アド変えてきてキャロルそのメルアド目にしたときに気が付かず、意味が分からなかった。しかしある日・・・気が付く、トヨタの新車なのだ。それをアドにしたということは喜び事があったのだろう。彼は言わずとも、その喜びに母親がオソカレハヤカレ気が付くことを既に知っていたのだろう・・・。この母親は研究熱心の賜物、第六感がある。そこに気が付いた時間帯こそが美味だろうって。そういう遊びこころのある息子を育てないといけない。映画ではどうだったろう・・・こころ震撼なクーパー家の・・・という映画放映がひたすら待たれる。名前ひとつにしてもクルマには枚挙に暇がない先取性が見込まれる。ほなあショットハイいきますか~クーパー家 そう出れば堅い 動員数かな