西嶌キャロル華麗集ではしっかり恋についてを網羅すると言っておきながら、おざなり状態であったなと反省しきり。恋って果たしてなんだろう?いまでも恋の正体がわからないんだ。本当の恋を自分は現世で育んだことがあったのかな?そこさえあやふや・・・。こんな恋に関しては無一物の人間っているのかな?しかもソヤツが恋を語るとなれば、甚だ不安に駆られるというものだろう。ちょっと待った!!ココナンダヨ。恋っていうのは、蜃気楼みたいなものなんだ。これは英語では?この蜃気楼を捕まえた!ここにありますぜ?なんてほざく人間こそがウソツキなんだとキャロルは思う。なぜなら、一瞬にしてこころを射止められたことがある。白羽の矢だった。その一瞬を振り返るときに、何が正しいとか、正しくないとかそういったもろもろはなかった。人を本当に好きになるということは、蜃気楼を捕まえるように実はあざといことなのだ。