パラノーマシゲコがこうして、土曜日恒例観覧車でもホントリをつとめることが感涙の極みである。俺は今朝もエレナに行って、キャロルと娘のために鮨を買ってきた。それなのに、この映画が終わるまでに味噌汁作るから待っててと自分の部屋で待たされた。かくいうアメリカン・ギャングスターである。長編らしい。俺は映画よりも後回しにされる自分がちっとも悲しくない。なぜならキャロルの仕事の丁寧さはかねてより知っているから。この映画を主体にアイツは何を大衆に、読み手に伝えるのだろう。それを思うときに、ある2文字を俺は頭に描く。?辞だ。ドワスレで思い出せない文字だが、作家や識者がその作品を薦めるときの一行だ。彼女にはそれを書いてくれる知人すらこの国にはいない。しかしそこがまた、彼女の一匹狼の所以。英訳ではどう表すのだろう。彼女は単体でありながら〔一瞬で〕セカイを制する文豪になる予感が正直する。これはニッポンにとって由々しきことだが、キャロルにとってはごく自然のナリユキなのだろう。