パラノーマシゲコは真剣に考えていた。今、昔自分がやっていたような子育てをしてたら、即刻問題になると・・・。歯磨きに拘る自分は息子にそれが身に付くように、厳しく体罰を加えた。磨くまで、洗面所の床に座らせるなどはざら。昔は、そういった体罰こそが肝心で、教育の元本であった、しかし、今の時代は違うのだ。自分の教育的観点こそが、銀行で自分が受けた教育理念でもあった。しかし、自分の手法が2000年を越えたとき、いや、もっと前、西暦1990年代から、もはや、行員には受け容れられなくなっていた事実に思いを馳せる。世の事情に行内も随時刷新されていくし、銀行の風土自体、土そのものにも変化はしかり。どういった子育てや、行員教育が的確なのか?それはスパルタを受け入れられないニッポンの敗者宣言にも相応と思ったが、妻キャロルが寛容の教育を示してくれたと総合する。寛容の教育とは、今の時点の貴女を受け容れましょう、そして将来あなたが立派になれなくても私は理解します・・・。俺にはそれが当時、理解出来なかった。甘すぎると嗤った。しかし彼女の寛容が命綱になって、子供らをこうして守って来たことは自明なのだ。