東日本大震災の直前にそれを予知するような短歌、キャロ詠んでいるんだ。これは、サイト上でも、見た人はいただろう。アマゾンの著者からのコメントで、今みたいに載せたからだ。その時の一首を紹介して、これは、びわを詠んだ短歌にしては、ちょっと、早すぎはしまいか?って。しかも東北、北海道では、食べたことある人は少ないでしょう?とまで言って。三月になるか、ならないかのあの時期、しかも女の一生は短いって、ぼんやりしている暇はないのよって。述解しているのだ。長崎といえば、茂木びわは有名で、びわゼリーっていう銘菓もあっちこっちから出ている。なぜ?その時に、びわを詠まなくては?って思ったかそこまではわからない。ただ、芸術家はこういう暗示短歌を詠むこと、往々にしてあるんだと、理解してもらえれば・・・。そして、びわを対で、つまり女性の乳房として、比喩している点に注目!でわキャロ元帥により厨房に残された対のびわの一首をお願いしま~す。厨〔いくりや〕に 茂木びわ終〔つい〕に 残されて 女の一生 かくも短し〔終にには対にが掛かっている〕