三好達治の詩、アンフォンス・フィニ〔幼い日の思い出〕を読んで、キャロはその頃、まだ中一だったからねえ、ぞっとしたんだ。まるで、自殺を誘うような、ほのめかすような、ぼ、僕は遠い旅に出ようねって、その辺なんだよね。こういう詩っていうのは、未来暗示の詩に該当するのでは?ってあの大震災の後に思ったんだ。なんでかっていうと、空には階段があるね・・・っていう部分。階段さえ、空に向かって伸びていれば助かった・・・。しかしね、まだ、中一のキャロには、未来に起こることがまるでわからないんだから、奇妙な詩でしかなくって。もの凄く落ち込んだ、あの時、つまり、高校を転校せざるをえなかったとき、腐った林檎なんだと認定されて・・・。キャロは、この詩を暗誦出来るまでに読んだんだ。海の遠くに島が・・・。雨に椿の花が落ちた。鳥籠に春が、春が鳥のいない鳥籠に・・・・・・ってずっと続くんだけど、この箇所なんだ。気に掛かっていたのは。今日、記憶の旗が落ちて、大きな川のように私は人と別れようって・・・って。これは、大川小学校のことだよね。天才と呼ばれる域にある人々は異次元との交流も、未来暗示も正確に汲み取りうるとしたなら、とても尋常ではいわれないって。慎重で、厳密なキャロなんかは思うんだ。蛍光箇所に来ていますよ~神が人間を裁くことが実際あるのか?度を越せば、起こりうるとだけ言っておこう。