別居は私が働くことが、条件だった。

 

爪に火を灯すように、節約志向の彼の生き方を思うたびに、うちに要請されて今あることは、順路として、見えて来た。彼は盛んにうちに提言してきた。額に汗して働くことが、肝心なんだよ?しかし、豊橋で異変は生じる。娘はひとりで自立を模索したい旨が鮮明になる。これは、嬉しい兆候ではあるが、私は身を粉にして働くには、まだ、どっちつかず。夫は、私達が二人で、暮らして孫を私が見て、娘が外で働く姿を当然描いていた。3ヶ月後、私と娘は豊橋から長崎に帰る方策を取った。しかし、まだ、家に帰りたくない気持ちで一杯だった娘はまたいなくなり、私は、探している途中、はてなと出会う。娘がいなくなるのは、10月28日。そして、なんと、次に連絡があり、是非来てくれ!というのは、翌年の8月だった。その間にも、ちょこちょこ、連絡はあり、お金は送金していた。