冷凍していたものがもどる

 私の投稿したハガキには未練はない。あれば歓喜するがあたしはもうそんなものに構っている暇はない。当時のあたしの初々しい気持ちや短歌に対する構えは果敢に引き継がれて今は狂歌に邁進出来る環境を喜んでいる。そこまで過去にはこだわってないのだ。世界一になるということは人と歩調を合わせる所が基本では間に合わない。人が出来ないことにチャレンジしないと世界一のグループにはなれない。今孫は世界一を全部ぐぐってそこで持論を述べている。頭の片隅にはある・・・世界一って自分なら何で挑戦が出来る?って。あたしはバレーボールをやってたから何回トスを上げることが出来る?で長らく挑戦した。しかし段々と疲れてくる。誰も見てないのに記録出してもなあって、言い訳がましくなるのだ。しかしブログは違う。みんなが見ているゾーンが確約されている。そこが素晴らしいのだ。ギネスも待っている。君がなにか定理を編み出したいのなら、世界は鑑賞している。その同1目線にあたしはこだわった。せこいかもしれないが、見てないところで記録を出して残念だったからわかるのだ。三年そこらで、一万首も詠めた自分だったけど、残ってない・・・ハガキにはお金が掛かっていた。しかし失ったからこそ、今どうすればいいか?わかっているのだ。