デニム・ブルーママン17の11

 本来なら、留年しそうになった生徒は私立の高校へ転校して行くはずが、夫の抵抗でなんとか、公立高校を受験させることが出来るまで、漕ぎ着けたときに、私はもしや・・・って期待したのを覚えています。公立から公立なら人の噂を封じ込めることが出来るって。どの親であっても、期待含みになる。容子自身も同位だったでしょう。自信はしかし全くなかったようで、期待するのは可哀想なくらいに見えたのです。16歳で迎えた春は世知辛くて、高校二年にあがるために、編入試験に合格すれば諫早高校編入できる・・・しかしそれは至極困難な道になることをあらかじめ、担任は予想をしていたのです。夫はしつこく攻防して、なんとか、私立の高校へ行くことだけは避けたい気持ちでいたようです。お金も懸るし、体裁も悪い。夫は、人生の落伍者と容子に厳しい眼差しで向かっていました。勉強に関することで夫は容子に逃げ道を与えてしまうことだけは避けたかったようですが、肝心の容子には編入試験に合格する自信が微塵もなかったことは聞いていました。自分の独断ですべてを決めて行こうする夫にはてこでも動かない理想があって、その強引の手法の徹底度に私も驚くのですが、こうして自叙伝をしたためる機会を得て容子は、他の生徒たちよりも多くのチャンスを与えられたことが自明になってことの他、嬉しいと思います。しかし、いくら、たくさんのチャンスを宛がわれたとしても自分が何物かになることは疑いのないこと・・・しかしまだ、その頃は、音楽の歌詞に出てくる言葉ほどの重みしか文学に感じてはいなかった容子です。大成が見込まれてはいなかった文学に、途轍もない意外性があったという大穴でしょう。