デニム・ブルーママン17の5

 

自分の中で狡さも同時に見え隠れしていたことを容子は機敏に感じ取っていました。この気持ちこそが、文学の世界で証明したい核心でありながら、自分に降りかかっている難儀ゆえ、掻い摘んで私達に話すまでになっていなかったのです。起承転結でいうのなら、決が結より先に来ているという現実。そうです。まさしく、現実の大波にさらわれていく事態が前途に待ち受けているとき、自分を客観的に描写が出来るでしょうか?執筆出来るわけがない。なぜなら、そこには狡さが沈殿しているからです。心のどこかで甘い算段も残っていたのです。成績が向上せず、赤点を食らい続けても、心のどこかで、恩赦に期待する容子がいたこと・・・教師の辛辣極まる舌禍は止まらず、いっこうに勉学が向上しない者は排除して叩き出すしかない!!って教師は言うものの、最期は違うのでは?それが容子にはあったことを私は推量していたのです。事実、大人だってそこを期待する。何のために親はお金を出して制服を揃えたのでしょう。鞄も、靴も、そしてあらゆる愛の投資が水の泡になってしまう。しかし・・・世の中はそういう甘い潮流ではなかったこと、伝統校には厳しい掟があることを、そこかしこで痛感をしながらでも、恩赦があるのでは?に期待したのも容子が、性善説型の人間であったことも関与だと思うのです。

 絶対に人は善を取る!!情けを取る!!しかし心の奥底ではそこまで信じてはいけない…という危機感もあって、容子の首は段々と真綿でしっかり締められていくのです。