デニム・ブルーママン16の11

 私が苦悩したのはむしろ将来がうっすらと見えていたからだと思います。高校に入ってどんな華やかな生活を送るの?っていう安穏とした事態は考え辛くて、むしろ茨の道なのはわかっていたこと、無理して上を狙ってまぐれで合格して公立高校に入ってしまえば、それなりに道は開けていくっていう夫の考えは明るくて、それはそれは未知数の願いだった・・・と振り返ります。高校入試で公立高校に落ちてしまえばすんなりそれは解決することで、女子校を滑り止めで皆が受けますのでその女子校へ行く道はすんなり拓けるでしょう。それがわかっていながら、私は自分の意見を言わなかったのです。中2で勉強を怠った容子には高校の数学は難易度が高いのではないのか?それなら、違う道を最初から選ぶ方がいいって夫に談判が出来なかった。今・・・思うとそれは効を奏じたのかも?があるんですね。人はみな失敗を避けようとしますが、それに果敢に挑戦できたこと、そしてその失敗で人生の深淵を見たこと・・・それらすべてが後年の容子の生き方を決めていく。どんな片隅にいる人にも声を懸けるであろう容子の誠実さは自分が苦難を味わったことによって静謐を突き破っていくのでは?と。少なくとも、あの時点ではまだ、高校合格すら決めてはいないわけですから、将来の疑心暗鬼を語ることは不吉であった。夫は容子の学力を信じて疑わなかった・・・この子には力がある。それを親が限定したり過小評価するなど、あってはならないっていう教師としての自負。夫の気持ちが矢の催促に私には映っていました。理想主義者の夫のなりふり構わない、全力主義の裏では、私は容子の正体を慮ります・・・文学者であり、音楽家でもある・・・っていう容子の小さな自負が控え、それが私には伝わっていたのです。