社会人として生きていくために、必須なものがやはり人間関係だろう。信頼は時間と両者の親密から構築を見ていく。僕も相当に人間関係には留意する。なぜなら、人間関係を抜きにして社会は語れない。しかしだ…もっと多くの人と触れ合いたい!!って率先して人間関係を構築しようとしても、ぽしゃることはある。なぜなら、競争の倫理が絡むからで、いつもいつも、良好が先導してくれるわけではない。日頃何かを主題としてここまで来ている人間は、論旨の枠組みが恐らく強固になるのだろう。孤独でも仕事が出来る人はわずかだと僕なりに推察する。芸術の分野であっても仕事となれば、組織も関与で人とのブレーンが要めになるのだろう。そうでなければ進捗をみない。僕らの時代は特に、すまほなしでは考えられない。母の場合は誰にも、すまほの番号を職場のスタッフに教えてはいない。オーナーとマネージャーだけが知っている。そういう関係は僕にはちょっと考えにくい。ただ、すまほがないことで、逆に、母が救われていることも多くあるだろう。厄介なことから免れることが可能で役に立っている。実際の社会とはちょっと違う想定だが、孤独癖を大事にする母らしいことが際立つ。一理ある。僕らの社会性と母が言う社会性。両者は確実に異なる。一芸術家としてしっかり大地に立っている今の母の姿は、どこまでも眩しい。僕たちは、発言の場がまずないし、それをしようとも実は思ってない。改革がどんなものなのか、その必要性すらまだ、感じないし、すべてに於いて未達である。物を書く人々にだけ与えられた特権であるのなら、神々しいものであることは言えるだろう。