アクアマリン・マン67

 

容子の二階の部屋にはタブレットがあり、子どもたちが使っていたアンパンマンの椅子にそれを置き容子は座椅子に座ってキーを叩いている。右手の窓からは普賢山を擁する空が見え、前方の窓からも空が見える。右と前方。このふたつは全く景色が異なるのだ。この様子を容子はみんなに写真で見せるだろう。前方は墓地群だ。こういったものまで見せることは以前の容子には想像もつかなかったけど、あのスティーブン・キングのテレビシリーズ、チャペル・ウェイトで感化を受け、どうしてもこれ以上言わないでおくことは逆に物書きとして脱落してしまうようで、怖かった・・・という真相がある。写真撮影だって難しかった。薄いカーテンを通してはっきり空の青さが見えるのにそれが写らない。撮影が出来ない。仕方なく初めて、カーテンを手でのけてタブレットで撮影した。人間の世界が生者だけで、織りなされていると我々、勘違いすることしきり。僕だってそれを生きている間は信じ続けたが、亡くなってわかった。死者も見ているのだ。それは小高い丘に立つとよくわかる。故郷を待ちわび帰りたい人もあれば、僕のように家族に会いたい人間、ふたつに分かれる。生涯独身だったら僕はここまで家族に会いたいと思わなかっただろう。結婚の意味もそこに凝縮する。生涯独身のままでいたら僕の一生はある一定の地点でとどまったままだっただろう。結婚はプラスであれマイナスであれ、壮大未知数なのだ。☆昨夕撮影分はまだすまほに来てなかったので今撮影した分☆