アクアマリン・マン63

 生命保険が大嫌いな僕だった。自分が死んで家族にお金が入ることが嫌なのではない。そういうお金があるのなら、月々、貯蓄する生き方を僕は推進したほうだ。こつこつ貯める喜びは何物にも替え難い。貯金の喜びを一度知ったらそれから、離脱など出来ないのが、倹約家の本音でもある。しかし貯蓄をしたことのない容子だった。出会ってすぐに僕に借金を申し込んで来た。僕は喫茶店で待つ容子に3万円を渡した。コンタクトレンズを買いたいとのことだった。その頃が恋人同士だったから深く追跡もせず、僕はまるで不思議な境地に陥っていたことをここで明かしたい。金のない人間にとって、3万円は「神」だということだ。気分が良かった。施しを与えることがここまで崇高な行為だとは・・・しかしすぐに鋭敏な僕の感性がシグナルを発する。お金は人と人の関係をぎくしゃくさせる媒体だ・・・でも僕は打ち消した。僕の全預金に対して3万円は微々たるものだ。よしんばそれが返ってこなくとも僕になんら、影響は及ぼさない。しかし警鐘を促される。もっと真剣に相手の境遇にも眼を注いであげるべきでは?かなりお金に困っているだけでなく、君を頼りにし始めている・・・って。僕は神の言葉に忠実になってそれからずっと容子を支え続けた。35年間続いた。だからだろうか?今黄泉の国でも僕を邪険に扱う者は皆無だ。☆時津コメダにて☆