アクアマリン・マン45

 僕が何処に行くの?とか今日一日、何を考えて過ごしていた?とか質問するとかなり嫌がって答えなかった容子。僕にだって不満は貯まる。家のことをきちんとしてくれることが結婚の約束で、しかし、周囲はかなり甘かった。特に伯母が容子を防備した。お手伝いさんもなしで、五人の子供を育成している。多めに見てあげて♬って。そして常に僕にお小遣いをくれる。なんていう切符の良さだろう。貯蓄をして人生を歩んできた者にしかない太っ腹に僕は何回も大の字で寝る。それくらい、容子に期待をしていたのだろう。別に出版筋に声を掛けられずとも、あやつには充分な軍資金が伯母から入り、執筆環境は最高だったと僕は振り返る。しかし大きなお金を僕も伯母も与えなかった。遭ったときにそれこそ、一万円。多い時でも2万が限度で、それは堅実志向の僕と伯母が共通のテリトリーとして持つ対容子に関する掟でもあった。自立自営を僕も伯母も推奨していたから過分に与えるをしなかった。みずから結果を出すことで容子からの報告はきちんと明瞭に出されていた。そういう分を知ることがどんなに役立っただろうか?子供に本来行くべき金銭を僕も伯母も容子に費やしてどちらも亡くなって今は黄泉の国にいる。しかしどういうわけか後悔は二人にはない。容子の父親にしてもあれだけ容子に投入した金銭への未練はない。そこは奇特としか言いようがない。不思議な感触でもある。不可思議と言い換えよう。あやつにどれだけ金銭を投入しようともそれがいつか・・・実を結ぶ。そうなる根拠は確かにない。それなのに心が豊かに芳醇に包まれる。神の吐息に触れている・・・。それが事実神の存在になるのだろう。