デニム・ブルーママン16の16

 私のどうにも出来ない不完全燃焼感がもしかしたら、私と同じ年代の人達なら?理解が可能かも?は思わないではない。安倍さんとちょうど私の年齢は25歳違うのです。日本の希望を託してもいい巨星をなくしたことは、日本にとって辛いこと…お悔やみを申し上げます。私が1929年生まれですから安倍さんのお母様と一歳しか違わない。この25年の差異はきっとこれからキーワードになると検証している処です。私達が家族ともども戦争に臨んだのに比較して、25年あとに生まれた安倍さんには輝くような希望があったこと・・・私には構築が全くなかったプライドを安倍さんは無理なく持っていらした・・・全くの軍国少女だった私です。容子はそこをずばり見抜いていたし、もともと男の気質も顕著にあった私。宙ぶらりんに戦後なってしまい、基軸自体を喪失し呆然と佇んでいたのかもしれません。安易に家庭に入っても結局、人様を模倣しないといけなくなる。そんなことは避けるべし・・・が啓示として入っていました。厭わずに人に靡くことが出来る人間だけが、家庭を城と認定が出来るけど、人様と同位になりたいとの前提で家庭を選ぶことは極力避けたかった・・・しかしお腹の子供が、話しかけてくるのです。

 世の中には出たくはない。このまま、そっとしておいて欲しいって。私はその時、希望を与えられるかも?って一瞬、秒速を獲るのです。直感といってもいいでしょう。

 この子が希望を感じることが出来る世界なら、結婚にも価値が見い出だせるって。その兆候が今正しく出て来ました。この子が、立脚し、達成するときに国も同時に高揚をつかむ。それなら、私は選択した甲斐があった・・・。66年も時間は経過はしましたが誰も容子の存在を知らないことが吉と出るのです。