心の中に芽生えた淡い希望は日を追うごとに形となって、高校入試への機運に乗る容子。もしかしたら数学にもついていけるかも?が奇跡のように容子の目にもそして夫の目にも映っていたのかもしれません。私自身、数学は苦手ではなかったので、容子の数学嫌いが、本格的なものだとは思いたくはない気持ちもあったのです。芸術方面に行きたい容子が数学を究めている必要はないけど、理屈としては通らない。やはりそこが教育一家なのです。苦手があってもそこそこ対処が出来る姿が理想的だったのでしょう。私の中で雲行きは怪しくなかった…と言えば嘘になります。でも、そこはやはり母として大丈夫よ!?って験を担ぐことになります。今の調子で行けばきっと合格よ?って。しかしながらその先までを見据えている自分もリアル居たのです。学業が芳しくないのなら一学期の時点で学校から追放されるかもしれない。その懸念はゼロではない。しかししっかりとそれを見据えてみたい冒険心の強い容子の、怖いもの見たさに蓋をすることが酷だった。作家のハシクレとでも言うのでしょうか。ネタが必要だったことは伺えます。順当な道にはない不測の出来事が作家を逞しくするのなら私も母として静観の構えでした。苦境は襲ってきてもそこからいかに這い上がるのか?それがきっと物語を構成するのでしょう。ハッピーエンドを狙えればいいでしょう。たとえそれが60年経過してでも私は待つべきだと思ったのです。