私の母は和田家の跡取りに非常に固執していました。なんとか子供を産める人がいないか?と毎日思い詰めるほどで、そこまであくせく探さなくとも良いはずと、冷静な眼差しで見ている周囲でした。最初の嫁にお暇を出してほぼ三年ほどが経過した頃です。私の妹が茶道教室で知り合ったと、和田家に連れてきたのが容子の母親で、私は会うなり、実はがっかりした感想を今でも覚えています。通り一辺のことは出来るのですが、私は昔気質の人間で俗に言うそりがまるで合わないを直感したのです。それはずっと延長して決着がつくまで戦うルールがある大リーグ並に過酷な人間合わせ。なぜ、そりが合わないを直感したか?というと間違っても夫を立てるという風情が見られない人だったからです。でも後添えです。こっちがなにか言える?とも自問しました。大佐の娘なら、それなりの見識と作法を持っていることは伺えましたが、それでも弟が優しいことで尻に敷かれっぱなしになることを気掛かりに思ったのです。しかしこれも後添えであることで吹き消してしまいます。そんなことを言える身分でしょうか?こっちは再婚であちらは初婚なのです。容子の次女はまたこの母親に性格が瓜ふたつで、とてもプライドの高い勝ち気な性格で私は今の様相をある程度、予感していたことは言えます。性格は隔世遺伝で受け継がれていく。しかし容子は弟の優しさや慈愛を百パーセント受け継いでいることがあたしの誉れです。甘え上手で、容子の封書にお金の懇願があったとき、私が叶えないことはなかった。文章が旨い女性は人からお金を引き出すことが出来る。みんなもここで容子の生き方き方をおさらいして、改めて文章技術に光を充てて検証してみましょう。