私の範疇は幼児教育で主に新一年生を任されていました。金銭問題も同時に解決出来るっていう物事の捉え方でいいと思います。容子の伴侶から、お墨付きをもらえた程の倹約家。しかし、出すときは出す。意気に感じた場合は特例で出した。そして和田家の一統は常に芸術に関与をしてきたことで芸術家の欠点や脆弱さにも触れていくことが可能だと思っています。永遠の門というゴッホの映画で、容子と一緒にそれを最後まで鑑賞して、お互いに同じことを思っていたのです。この映画を何回かは鑑賞している容子でしたが、私は初で見たのです。マッツ・ミケルセンが牧師の役で出演していて、自分が芸術家だと告白しているゴッホに言い聞かせる場面が出てきます。当時まだ・・・ゴッホの絵は売れず、弟が画商だったことで、みんなの眼に触れる機会は得ていながら、なかなか人々に理解がなされないのです。しかしマッツ演じる牧師は本当に半信半疑だったのでしょう。あなたは画家だと言える理由は?と踏み込んでゴッホに質問しているのです。そんなこと、訊かないで・・・とは私は思いません。ゴッホは堂々と答えるのです。僕は描かないといけない・・っていう強い脅迫観念があるってそういう内容のことまで、吐露して神父を驚かす。あなたは本当に画家だと言えるんですか?というような疑問符をぶつける役割はかなりしんどい役柄でそれははからずもゴッホを狂人として見ていることに繋がりかねない質問の提示だからです。私はこのシーンを容子がどんな心で見ているかをしっかり把握して自分と比較をしていたのです。ウィレム・デフォーはゴッホの心を体現しています。しっかりと大自然こそが神だ・・・とそう発言して牧師を納得へ導いていくのです。容子が自分はモノカキだと言うのとあまり差異がない。頼もしい共闘者をこの映画で奪取していた容子です。