デニム・ブルーママン16の3

 二年生では五十位まで堕ちた成績を、三年生の一学期までに学年で20番内まで、持っていくことは大変な暗記作業で、しかし、それで、数学を仕留めた・・・とは言い難く、本来は塾のチカラもあれば随分と違ったでしょう。しかし薄暗い暗澹とした未来を私が見ていたことに反して容子は務めて明るく振る舞っていたのです。数学が人生を決めるの?あたしに必要な学問かなあ?って。私は、容子の心中は強がってはいるけどニガテ意識を隠しているな、他で補おうとしてる・・ってすぐにも納得が出来ました。人間が出来る能力には限界があって、容子の場合は数学や化学といったものは部外者だったのです。しかし本当の理系同士ならわかる話のとき、容子は、退屈せず、話をわかっている自分でありたかったのでしょう。まんべんなくすべてに博識でありたいはみんなにあるけど、苦手は必ず出て来ます。容子の悩みはみんながおおよそ理解が出来るだけに、私はどんな困難が前途に控えていても静観できる立場を維持していたのは将来を見据えていたからです。親は子供の学力が伸びれば素直に歓喜するものですが、子育ての妙味とはまったく別のところにも実はあって、それはこころの快適さです。もしも、勉強が出来ないことで隅っこに追いやられて、人間としての尊厳を失うようであれば、そこを離れた方がまだ、良い。それは容子が芸術家として将来生きていく時の素地になっていく・・・遥か先のことまで私が想像をしていたフシがあるのです。