イエローダイヤ・マン1498

 生まれて来なけりゃ良かった・・・って自分のことを思う。誰も僕のことなど見てはいなかった。憔悴と落胆が今自分の脳裏を駆け巡る。しかしリアル現実を受け止めて行きたい。これも運命のひとつ。果敢になって自分を見据える。人に認められたいな!!ってこれまでずっと心血を注いで来たけど、もういいや・・・って諦めた。今朝、ザ・シネマでスゴい映画に巡り会えて、極力見ないようにはしていたのだが…スモークだ。アメリカの人気作家ポール・オースターが脚本を手掛け、ウィリアム・ハートともう片方、ハーヴェイ・カイテルっていう俳優の個性溢れるしっかりした演技に参らされる。元カノを演じた女優も真実味が籠もって名前を早速調べた。ストッカード・チャニング。僕の亡き夫の一歳下だった。これは1995年の映画だ。ぐれた娘を思う母親の気持ちが自分と重なって熱いものが頬をつたう…。夢の果までもっていうヴィム・ヴェンダースの映画でハートを見ていたことも好感を倍増した。タバコ屋さんをしながら14年間もの間、同じ時間に写真を撮影していた・・・っていう発想が逸脱していて、僕も写真に興味を持っている矢先、吸い込まれるように見てしまった。何かこういうタバコ屋さんに憧れが幼い頃からあったのだ。そこに行けば駄菓子やパンや牛乳があって、少し雑誌も置いてある。タバコやビールやラムネも。こういう商売をアメリカで出来たらなって夢を描いた。作家はみずから脚本を執筆するまでなることは滅多にない。なぜなら、仕事域を広げることになり時間を消耗するからだ。しかし彼はあえて、そこに挑んだ。結果がこの映画。もちろん俊映に当確だ。もっとスゴいことにも今朝は気がつく。僕が20歳になった1976年はアメリカ独立200年の年。我ながら神っているって芯から活気付いた。ケサカンは慧眼だ。洞察力の並外れた人の眼力を指している。