エメラルド・ウーマン43

 疑問符をそのまま持っていていつかはそれを調べる子供であれば素晴らしいし、疑問符あってもその時には言わず、大人になって望楼から飛び降りるべく覚醒する子供もある。そのときに大人になっていてもいいし、子供と呼ばれる間に義務教育の間に自分で調べれば申し分はないでしょう。この疑問がクエスチョンマークが教育の鍵を握るのです。恐らく反発心にも関与で、いきなり学校でそれとぶつかった容子は教師をしかとすることでその時期を過ごした・・という報告ですが、ちょうど私が実家を出る頃と重なってほろ苦い。容子の母親が精神的に未熟でどこかで反発を消化しないまま成人して大人になりきれない分、私達周囲にはその葛藤が丸見えの状況であったは言えるかもしれない。14歳から16歳まで彼女は反発を反応にして自分の中にその葛藤を封じ込めていたのでは?は元教師としての直感です。自分では力は及ばずに世の中に屈した形ですが、その分の軋轢を自分の身体で知ったことが今にして思えば快挙だった?が類推出来ます。例えば、私も弟も頻繁に言っていた言葉があった。あの子がそれについて思いを張り巡らせたことを言っておくチャンスを得ています。長崎は天領の江戸時代、佐賀藩諫早はおろか、矢上村番所橋までを治めていた関係で、容子の棲む街には古い言い伝えがあったのです。佐賀んもんが通ったあとは草木も生えん・・・これはどういう意味なのか?佐賀人が通った跡には草や木が生えない。説明はサラッと済ませ私はあの子の出方を待ちます。回答は出たでしょうか?身に沁みて経験した者からしか出ない、こういう地方性を含有したことわざに私は価値を見出す人間だったのです。

f:id:hn0709:20220408225210j:plain