容子は知識習得を積み重ねるのが自分の学習とは思っていません。作文、作句、作歌、作詞、作曲、それらが自分の未来につながる道程だと12歳で直感しています。しかし、容子は父親の言い分にも、なぜか、耳を澄ませていた。私があえて、何も言わないで良かったのも、当然で、知識の厚い層の上に、文学も音楽も育成され延びて行くべき?を思うのは通常の概念としてあったからです。誰もが飛び入りで歌や句がほとばしるなど、想像の範疇にはなかったし、それほど、一瞬の機会だったのでしょう。誰もがスポーツとは関連などない…と認識を示すさ中、容子は、時間、場所、ノウハウ、継続の法則を編み出していたのです。TPKCの法則。文学にも音楽にもスポーツにもこの4つは共通だと容子は睨んでいた。この4つの中央に来るのが己のターゲット。私は内心では我が子に同調していたのです。