デニム・ブルーママン☆第15章

 中2のときの担任が嫌いという切ない気持ちは容子の反発心から端を発していましたが、コミュニケーションが元来構築済みだったにしては、激しい攻防だったと振り返る。徹底的に相手を無視するというやり方は容子には似合わない。しかしどうしようもない攻防だったことは言えるのではないか?ってあたりを付ける。発表しないと相手に意見が伝わらず、損をしますよ?とか言われてもそれは看過が出来る容子であったことが突出してあったこと。文学者は書いたもので存在力を計られる。そういう成り立ちがアタマのなかで帰結を見ていたのは傍から観察してわかっていたことです。そこまで強いチームではないこのバレー部にぞっこんになって今は投入する気迫が文学ではなかったものの、容子はバレーボールを執筆する・・・という部門ですでに文学に参入していたことは言える。生活のすべてを網羅しながら半生を将来綴る・・・は大前提としてあったのかもしれません。私の食っちゃ寝生活の深層もいずれ、あからさまになってもそこまで憂慮はなかった。昼寝をして誰かに咎められることがないのが専業主婦の生き様です。しかも、そこに警鐘を鳴らしていたかったのが当時の容子の真相ではなかったのです。みんなが自分のリズムで生活している。好きなことに邁進するもよし、休息を好むのなら人に迷惑をかけないのならば充分に摂ってよし!!と。そういう自由がすでに1968年当時の日本の家庭リアリズムとして根を張っていたことは考慮すべき論点になりますね。