ルビー・ウーマン782

 父の著書で恐らくここがもっとも大事だなっていうメーンがようやく確定。映画でもそう・・・一行がある。誰にも違う感じ取り方ともうひとつ、これはみんなが共感出来る性質や箇所じやないか?っていう疑似ボタン確定、どっちかというと父の著書でこれがメーンと今回発見出来た一行は、後者のものだと思う。なぜなら疑問に思ったのは父も同位で、ひとえに親鸞ひとりの為に・・・っていう文面がエゴイズムに解釈してしまうのでは?という疑義。それは私達一人ひとりのためのもの・・と記してある。170ページの文章だ。なぜ、誤解してしまうのか?っていうと聖なる悲鳴をなかなか凡人は理解出来ない。容器が小さいことだけが理由ではない。人間誰しも、人を信じないっていう部位が必ずあるからだ。しかし聖なる悲鳴についてをここまで論破している点が目を見張る。自分の父と思うと感動して、少しでも自分も接近出来ればなって今思う。こういう父の勉学の深さについて直で褒めたりすることが生前出来ず、まこと、不肖の娘だった・・って恥じ入る。しかし遅くはない。今やっとこさ気がついたことがプラスに作用するし、最後こう結んである。この悲鳴こそ、口に述べたり、文に表したりするまだるっこさではなく、なまなましく打ち付けられた人の生き様のお手本であると・・・。なんていう快挙でしょう。今の日本にこういう人物は?確かにいますね!!