母が夢を構築し父は現実を説いたとそう仮説しよう。それが一体ではなかった・・・そこに驚きを禁じえない。父が逆に夢を構築し、母が今度は現実の世界でのろしを挙げている。この入れ替わりは何だろう?金銭的に脆弱だと思っていた母の方が金融世界にのし上がっていくのだとすれば、それは苦労の連続だったから?そして銭の亡者のように金銭に厳しかった父が今度は夢を追い求める晩年になったとすれば?二人のクロッシングが実に感慨深い。僕らは一方的に論じることばかりに終始して来た。理論がないのと同位だ。なぜ、そこまで堕ちていったのか?そこは思想家に任せるとして、頼りになる人材がまだ日本のあちこちに埋没していると僕は期待を禁じえない。なぜなら自分の両親だ。一介の微々たる存在でしかないのに、すべてを網羅し始めている。浸透だろう。この勢いを止めることが出来ない。それなら僕が見た父親、母親、その両方が只ものではなかった証明なのか?っとまあ、嬉しく高揚する。存在感のない父親ではない。そしてうだつの上がらない物書きの母ではすでになくなった。ここまでの道のりを鑑みる。誰にも頼らずに道が開けて来た訳ではない。ひとつのことに精進した暁の映像だろう。僕は素直に感謝したい。子供を育成しつつ、ここまで成し遂げてくれた両親のように僕もなれたらいいな!!を思うのみだ。