アクアマリン・マン149

 僕の気持ちはすっきりしている。今はせいせいしている、一番辛かったあの死の淵で、しかとあいつが臨終というものを見ていてくれたことは今にして思うと意義もあったなって。なぜなら死と対峙しない者はいないからだ。確かに眠るように安らかに誰もが最期を迎えたい。しかし規制があって安楽死はまだ先の話である。やはり、おのおのが義務として死と対峙する姿勢が求められている今の社会だろう。なぜ、僕はこんなに早く亡くなった?それともなぜ、僕はここまで生きることが出来た?どちらも正解だと思う。なぜならあと少しで77歳を迎えられたのだ。決して早すぎるっていう言い方にはならない。しかし人間だもの、欲が出てくる。80歳までは生きられないだろうか?それを望む僕がいたことは確かだ。人は全員、死を怖がる。あいつも臨終と初で対峙した。今まではずっと身内であっても、亡くなった数時間あとに対峙した。一挙に作家としての階段を駆け上がることが出来たのだとすれば・・・それは死者になっていく僕を凝視したからだろう。心臓かもしくは肺、そのどちらかが先に機能しなくなって、死が覆いかぶさっってくる。死は僕も怖かった。生前からとても堪えられないもののひとつとして捉えていた。しかしあいつの作家としての地位がこの経験によって上がっていくのなら僕は逆に嬉しかった。夫柱☆つまばしら☆になれたらいいとそう願った。