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 満開の桜もやがては葉桜になっていくその情緒に浸る時に、人は誰もが、驕れる者久しからずを日本人なら必ず思うだろう。こういった概念に酷くセンチメンタルな点もひとつの特性として挙がるだろう。夫婦はこうあるべくのシナリオも随分昔、紐解いたものでも今にしっかり対応するなど、この国の考える模範は一口では言い尽くせない味わいがあると僕は思う。しかしながら、夫婦っていうカテゴリーには収まらず、独自の生き方で人生の指針を構築するグループも健在で、そこに触れる時に僕はやはり、自分が寂しがり屋な性癖にあることをひしひしと感じる。つまらないことでも二人して論じ合う。こんなちっぽけな論争はないけど、そこに大価値があると思う。あんなに結婚に懐疑的だった僕も大きな方向転換期を迎えている。おひとり様でも十分大丈夫という感性からは、離脱してしまった。もしかしたら、母親の存在を超える女性を見つけたかった願望からか?と思う。確かに完璧に近かった母。どうあがいても、今の女子達が追い付けない位の経験を踏み、来るべき未来も見えている。しかしそんな解りきった母親よりももっと偉大なのは今の若者女子の考え。時代に対峙する感覚でありフィロソフィー。僕はたとえどんなに彼女と意見が相違しても恐れない。むしろそれをお互いが忌憚なく出し合うことで、先に控える難問も見えてくる感じがしている。