文豪には下野などないのかも?って僕はそこを搔い摘む。なぜなら僕達が知りえないことを慨に知っている可能性がある。予知というとみんなが下世話に採るけどそういう単純なものではなくもっと進展性のある含みのある事柄だと僕は想像する。なんでそういう文豪の話になるかというと父の及ぼした影響だ。父は文章を執筆出来る人に憧れを抱き続けていた。漢字が書ける、字が上手い、そういうのは序ノ口でそれ以上の領域を常に父は求めていたと推測出来る。語彙の豊富な母の話し方に影響を受け、劣等感にさいなまれた。なんで母の饒舌に言いくるめられてしまう平常のみんななのか?そこに疑問符を持ちつつもそのつど、母の弁舌の巧みさの裏にある狙いを父は見定めていたのだろう。僕にもその時の父の苦悩がようやく分かってきた。頭がいいのは成績だけを指している日本の現状に法外な上乗せがある。そしてアジアの繁栄だ。ここに一抹の不安があるとすれば強すぎる中国の奔放さだろうか。ロシアも中国も一筋縄で行く相手ではない。しかし両者はがっちり手を組んだ。このことを好機に捉えよう。彼らは主義と主張を共にする。日本はそれならどこと?大きな疑問符ではすでにない。日本はイギリスともオランダとも台湾ともフランスとも・・・いうなれば世界のどの国とも仕切りを設けない。オリンピック元年とはダイナミズム!!元来そこに集約されるのものだろう。