僕達は楽器の中に収まることはないけれど、傾倒し、音楽の中で眠ることは出来る。しかしそこが思い違いなのでは?って。なぜなら母が最初にエッセーに目覚めたのは本当のことをしたためた僕の毎日の日記帳。毎日先生に提出して夕方帰る時に返してもらえるという日々報告みたいな役目を果たしているノートだった。小学校中学年くらい。しかしすぐに気が付いたわけではない。ダンシャリに入って整理整頓していて見つける。僕はそういう母の後手後手が好きだ。勉強しなさい!!は僕以外の四人にもとうとう言ったことがなく、それは母自身が書生だったからかもなあ?って今になって想像の範疇に入ってくる。自分を極めようと躍起になっている人に子供が見えてないとまで僕は言わない。しかし明らかに仕事に忙しい父の方が、実は子供をよく見ていたな!!って今追憶を弄ってもそこが言える。自分を大成させたい!!ってそう思い過ぎる余り、母は、レールを外しはしまいか?っという危惧は僕には無かった。なぜなら基本路線をきちんとまっとうして母はエッセーに邁進していたからだ。そこで誰かと絡む訳ではない。誰とも絡まなかったからこそ、今があるのだろう。孤立と二文字で片付けられるのが普通だが、母は孤立の中に賜杯があることを僕が幼児の頃から見抜いていた。今となってはその先生との交換ノート、どこを探しても見つからないっていうのもいかにも母らしい。豪放磊落な一面だろう。