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 本当に人と人の仲介なんてやるもんじゃないな?って僕は肝を冷やす。恐らく母は車を欲しかったに違いないと踏む。なぜなら今度の車検をすればちょうど二十年その車に乗り回すことになって母が中古で購入したのは2011年の四月だからそこはみんなも勘違いしないで欲しい。四万キロ近いとこまで走っていた。しかし最初の持ち主は半端ない位大事に乗っていたのだろう。新車同然の風貌だった。実は僕が免許取得して初で乗った車。ムーヴメモリアルエディションだ。その車に乗って一緒に豊橋に親父と来た時に僕の元に訪ねてくることはなかった。兄は下地駅からほど近いアパートまでしつこく呼び寄せられて母娘げんかの仲裁を頼まれる。それが落ち着いて一緒に豊橋駅近いマックに姉と入ったらしい。母はアパートの片付けで忙しくしていた。ワガママな姉はなんとアパートを二回、短期間に借り直していた。その頃は兄も僕も豊橋で勤務していた。姉がこの街に憧れて、横浜からまっすぐに長崎に帰らず、豊橋で途中下車する。親父が先に長崎に帰っていたことでついつい大きく出たのだろう。新幹線こだまをあらかじめ選んだことで、ことは一変する。今も僕と母がいつも話すのは豊橋の思い出だ。極楽湯は僕も行ったことがある。最高の場所にある。隣がセブンイレブンで前方にはファミマがあった。今もこの田園風景が懐かしい。僕は渥美の方にいたから土日は豊橋に来たり、すぐ僕を追い駆けて長崎から名古屋に来た友達がいた関係で、後に僕の行動半径は名古屋系になる。都会と田舎を選ぶとしたら僕は都会が好きだ。姉達は田舎がいいという。極楽湯に近いマンションをいつも羨ましい気持ちで見上げていたという。やっぱり六マン以上を出さないと高級感は味わえない。