一体幾らくらいの蓄財を遺すのか?誰だって身内は多い方が将来が安泰と喜ぶに違いない。僕は貯蓄をして現在百万円はあるけど、実際今回の引っ越しやらもろもろの家具購入などで、一気に吹っ飛んでしまう。長い間、病に伏していた父が亡くなって、僅かな株もこの最安値になってしまう。今処分してしまうのも?って兄弟のみんながいぶかるかと思うとそうではなく、この最安値は底が見えないって恐ろしい判別でいること自体、僕も大変な様相になったものだなあって兄弟たちの声に耳を澄ませる。しかし常に妻は半分で守られていて法的に強い。あれほど、必死に看病した姿を思えば当たり前のようだが、日本の法律を改めて評価出来る。子供達は妻が獲ったあと残った分を、分ける。僕のように五人もいれば入ってくる金額は微々たるものだ。最初兄弟達は妙なことを口にしていた。財産の放棄だ。それを言っていた人間達がいきなり豹変する。やっぱり貰えるものは感謝して貰おうになったのは理解が行く。僕も親父の遺したお金には真価が宿るとそう思える。散財したことがない。クレジットで背広を購入しても引き落としが架かって無事に落ちてからしか着ない。その気がいを僕はこれからみずからの遺伝子の中で見つめて行きたい。親父が思うような時代はたぶん来ない。世の中は荒れ狂うし、大波を何度も被りつつ、日本丸は沈没を回避しながらも、潮流に乗って再び世界でのシェアを奪還する。何もかも親父の言った通りではないもののひとつだけ僕は取り入れたい。それは身の丈を知るという文言だ。たぶんバブルは弾けてその時に親父は憔悴に陥ったのだろう。こんなことは何回も訪れはしないが絶えず腹巻の裏に刻印しておくことも大事だなって改めて僕は祈念している。非常時を生き延びる為には日頃死守しておくべき事柄が存在したのだ。