やっとのことで僕のことを一人前と認めてくれたのか、母は僕に掛けていた県民共済を解約した。愛知でもこの保険が役立った。僕は暴漢に襲われて顎を骨折したとき・・・あのとき、父は第一報を聞き長崎から駆けつけてくれた。中京病院だった。大きな病院で父は迷うこともなく病室に現れた。バンカーだった経験を活かし、旅には慣れていたようだ。あれは7月で六年前・・・しかし親父の顔を見るなり、僕は、お母さんは??って質問してしまう。僕はそれが自然に出てくる息子だった。お母さんが大好きなのは皆兄弟は同じだった。親父は会計をまかない、精神的な支えはお母さん・・っていう構図だろうか。しかしこのとき別の思惑も僕の中で強固になる。お母さんは?ってすぐに病室に来てくれるはずの人間よりも、お父さんの存在がいかに大事だったのか?っていう事案だ。被害者でも全部の支払いが僕の父に掛かってきていた。僕にはまだ、蓄え自体がなかったからだ。そのとき、この保険のお陰で、随分助かってお守りみたいに継続してきたけど、もうパートナーもできたことだし・・って決心したのだろう。月掛け千円の時代からお世話になって、2000円になっても継続した母も、経済を鑑み解約を決意した。県民共済で入っていた三大疾病も解約。自分のがん保険もアフラックだけにし、県民共済入院保険をスリム化した。そして父が母の原稿に掛けた火災保険も解約した。父は原稿が水に流されたりしたときの為に、母の宝物である原稿に保険を掛けていたのだ。なんという優しさだろうか。こういう伴侶を持ったことを母は心から感謝をしているはずだ。