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 僕の尊敬する親父が亡くなった。これまで死に際というものに僕は一回も出食わしたことがない。死とは恐ろしいものとばかり思っていたし、死が断末魔と呼ばれる所以がきっとあるはずだとそこを恐れていた。父にはすでに余命がないと前日から医師から宣告は受けていたものの僕は信じたくはなかった。確かに意識がもうろうとして病室がちゃんとわかってないのも僕としてはショックではあったけど、心臓と肺が機能していたことで奇跡を祈る気持ちでいた。酸素マスクを付けてそれでもパルス測定数値が段々下がって来る。50を切る。僕にも臨終というものが見えてくる。このような家族に看取られて死ぬこと自体、実は幸せなことではないのか?という別の考え方はあるものの、僕は親父の年齢を考えると八十歳まで生きて欲しかったっていう一縷の望みがあったことは否めない。しかも僕の大成を見ることもなく旅立ってしまったことが心のこりではある。しかし僕は天国というものがあるのなら、そこから親父は僕に指南してくれるのでは??との期待は捨ててない。親父の家計簿は僕の宝ものだ。膨大なそのノートこそがこの国が指標とするべき家計簿で、国だってスタンスは変わらない。スタンス不変で一筆入れておこう。僕等の国は大きな成長と同時に獲得してはいけないものまで維持してしまった。身分不相応の考え方だ。これだけの負債を抱える国ならそれなりの覚悟、姿勢があってしかるべき。どうやら雷親父の魂は僕に乗り移ってしまったような・・・嬉しい誤算である。