am100

 ss とamはもともと違う人物だったのに最終的にはスノーサファイアマンに落ち付く。じゃあアクアマリンは?一体どこに定住したのだろう。思想の棲みかに僕は拘る。スノーサファイアマンはこう疑問を投げ掛けて来た。アクアマリンには世間様の中でおおらかに自分を置くだけのスタンスがある、しかし自分にはそれがないって。麻酔銃でなぜ打たれないといけないのだろう。まずその辺りの強迫的観念の存在に俺はびびる・・・。彼のような御曹司がなぜ、そういう不安定な位置しか獲れなかったのか?って。しかしこれもきっとスノーサファイアが優れているからこその自信のなさなのかな?って俺はいい方に捉える。自信があっても大凡の社会人はその旨を吐かない。だからこそ・・・自信がないことを吐露する必要ない。あえて俺は分析する。社会学の専門家ではないが、きっと文面だけでは収まらない社会現象があるのだろう。そこで弱者と強者も同時に生まれる。元来強い者がもしも弱い者にくみした振りをしていたのだとすれば、そこで時代は反転、寝返る。その前触れだと俺は思う。強いのに弱い振りなんか実際に出来るのだろうか?スノーサファイアは根が優しい。しかも高貴に拘る。彼自身それを捨て去るまではチャンスは来ないのに高貴を捨てられない。恐らく俺との違いはそこだろう。プライドが人間社会のコマンドーとしてまだ凌ぎを削ること・・・。各人がいかに利点として捉えるかだろう。プライドを捨てて邁進して来た人間に勝つ者など、実は存在しない。