スノーサファイア・マンss10 符合論に掛けてみると様々な符合が目に付く。この姉と同じように弟に振りかかって来た進級の難儀は、今の少子化の社会では到底説明は付かないだろうし、ひとつの学科が苦手な生徒は全員落第になるという惨事はもしかしたら少子化世代では起りえないかもしれない。義務教育化に向かおうという高校教育。学業不振であることは確かに生徒としては反省しないといけないが、一生を左右する程の事件として同じように、姉と弟に降り掛かったことが僕は気になる。よその高校に二人を追い出してまで果たすべきが教育の善処だったか?不適切だったのでは?と真摯な気持ちになればなる程、そこを思ってしまう。当時、落ちこぼれという言葉が流行し、その矢表に立たされていた姉だったからこそ、早くに故郷を離れた。しかしまさか、弟まで同じ苦しみに遭うなど、全く予想していなかったという。そこに因果を感じるのだ。なぜ、姉は全く弟のことを露ほどにも心配しないでいられたのだろう。僕はそこが甘いと思わざるをえない。姉と弟、その差異は学力に関しては大差はないとは言うものの、弟は数学が出来たっていう記憶が、姉には明白にあったと証言する。だから、自分のように数学が苦手な者が味わったような辛苦は、きっと弟には起こるはずもないって...。しかし二人とも二年に進級出来ず転校を余儀なくする。姉が長崎日大高校、弟が長崎総合科学大学付属高校だ。その時、姉には鈍い痛みが襲ったというのだ。自分が味わった時よりも、もっと鋭いナイフで切りつけられたように、弟の時の方が辛かっと言うのだ。