僕がそこまで体制に拘らないのもきっと落ちこぼれになったからだ。世間様から、陰でなじられるような身分まで落ちてみて、初めて本来の評価が得られる。しかし父は今思えば這い上がろうと模索を続行。落ちこぼれになったのは僕なのに、ちょっと待った?っていう位のタイミングで市会議員選挙に立候補。このバッドタイミングになぜ??って周囲はみんな眉をひそめた。眉つば者だと父は詰られる。当たり前田のクラッカーだろう。家族が謹慎している間に父親は選挙に立候補??どこのどいつだ?ってなる。こういうタイミングを全く見みない性向が今となっては輝くな!!と僕は父をどこかで称賛している。心の絵ごころがあることをみんなも察知するだろう。選挙とは深いものだ。票田は金で動いているようで実は信頼で動く。言わば評伝なのだ。そこを知っていながらあえて父は立候補した。その時の選挙用ポスターを僕は持っている。世界広しといえ、こんな所有物は僕ひとりである。そこが今となっては名誉かも?って大事にしている。そのポスターを見て姉が懐かしがったというのも起因する。父は当時、五十六歳だ。僕の年代にすこぶる近いっていうより合致している。この時、父が抱いた勇気の欠片も僕にはない。この比較は物語る。誰もが評価もしなかった父だが、僕はこれから父を研究することだって可能な位置に付けている。