僕がほんのちょっとだけ大人になったな?っていうのはやっぱり煙草を吹かした時で高校三年生。どこへ行っても探して回ったチェリーだった。それくらい煙草の銘柄探しは楽しかった。高校から吸ってはいけない。そんなことは誰にだって分かっている。しかし友人達の間で話題が出た時、知らない振りをしているのは嫌だった。自由で闊達に話の輪に入れる懇話力を僕は優先した。すぐに煙草は親に見つかってストップが掛かったが僕は何て言う大人の入口を体験したものだ?と暫くは興奮のるつぼから出ることは出来なかった。僕は西嶌という名字なことで西島大佐と呼ばれていた時期もあった。中三の頃だ。それがどこから来たのか最初は分からず、ある日思い切って尋ねると、優秀な技師が大和という戦艦で存在したらしくて嬉しくなる。光栄に思う。みんなが西嶌大佐と呼ぶまでには至らずずっとこれまで愛称はジーマだった・・・。今思い出すと、十八歳から二十八歳までは矢のように過ぎ去ったという事実だ。この速さこそが青春の次に来るテリトリーではないか?とそう思う。緑春とそう呼称しておこう。赤〔子供時代〕、青春、緑〔18歳から30歳まで〕、そして三十代以降に黄春が来るのだろう。シャンペンカラーのように照りがあって美しいことだろう・・・。時間を音感にかえることが僕に可能性としてあるだろうか?この作曲への道のりは実にセンセーショナルだ。きっと誰にも止められない。誤解があったらいけない。赤春とは12歳まで。そして青春は12歳位から18歳まで。あとは言った通りだ。最後に来る五つ目を模索中ではある。