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 姉が文筆で人生を描写することは知っている。僕の父も母も姉のことは早くから見抜き伯母も同位だった。しかし肝心の継続力がない、丹念な研修力に欠けるのか、ずっと姉は人生を咲かすことなく、今日に至っている。作曲もするし、僕はその音響も耳にする。これだけの才能を持つ人は世に何人いる?って僕はしかし姉にそこまで言えない。すぐに思いあがってしまう性向にあるからだ。芸術というものの浸透はしかし世に出れば一気に速いだろうと僕は心配はしていない。最初に彼女の才に気が付いたのは家族だった・・・。これは驚愕の真実で教育一家ならでは。遅きに失したなどと僕も姉も思ってはいない。人生百年時代の六文字には不思議な魅力がある。まるで万人が百歳まで生きられそうな嬉しい予感を禁じえないからだ。そして今・・・姉の才能を知る伴侶、子供達がこれだけ居る。実に孤独な僕にとってはジェラシーに値することだが、それを妬ましいから根魂〔ねたましい〕に変換した。姉がいつもより逸脱したハイテンションで、自分の作曲した音楽がラジオで流れる!!ってそう言ったことが懐かしい。僕はまだ中学一年だ。姉は蝉と失恋をイメージして作曲しそれが選ばれてバンド演奏する。あの時ほど僕がわくわくしたことはない。自分の分〔ぶん〕を知るという言葉の本当の意味を悟った十三歳だった。