僕は貧乏な人間の側に立っていてそのゾーンでは割と恵まれた方だ。いつも親の加護のもとにあったし、今は相当のどん底まで落ちてはいるものの、父親が生きているまでは僕も心のどこかに安堵があった。2015年2月まで存命だった父にはたっぷりな年金が二ヶ月に一回振り込まれ、介護をしている僕は父の年金を握りしめ、それでありながら敬意を持って父を介護したことなど、数える程しかなく、今にして思えば典型的な相克の親子関係だったを振り返る。しかし僕は今自分が貧乏の側にいることがすべての面でこれからの吉に出ることを知っている。金は人を腐らせたり崩壊させたりする不思議なマテリアルと僕は40代になって悟ったのだ。金は少ない方がいい。特に一人者ならそれを強調して言える。金はすべての者に幸福を与えるようで実は違う。そこをはっきり言えるこの僕はある意味、希少価値があって、そこが理解出来る人々もこの国には多い。富裕層は特に日本の将来を危惧し、自分達で何か出来ないか?を心底心配している。子供のいない夫婦は特にその傾向は顕著だ。子供を見事に授からなかった人々にもそれなりの思いはある。国の先行きを心配したりそれが杞憂であれば?は人間本来の理性のようなもので、この国に限ったことではない。僕はへそ曲がりだったかもしれない。マザコンの極致だった。しかしそこを突かれても、何処を突かれても、母の偉大さが上だった。そこは誰が目の前に来ようとも譲れない。