Ss142

 僕が繊細なのは小さい時からだ。小さい時には父にも敬意を持っていた。しかしその敬意は中学時代の頃から段々と薄れる。父は常に常識という範疇の中にいてそこから僕を見下ろしつつ解説する様子が見えて来る。確かに僕にも常識の大事さは解っていた。そこではルールという代物が稼働し、僕達を制御してくれる。しかしいつか父の言葉に綻びを見つける。なぜ、戦争に突入していったのか、第二次世界大戦についてを語ることが出来なかったのだ。僕としては不本意だった。歴史を教えている中学の教師としてこの部位に安直であればこの先は浮かばれない。日本が様々な国との交渉に於いて不利になるのでは?と真っ先に危惧した。中学の社会科は三つに分かれ、主だった地理を中一から開始し、日本の歴史に関しては中二で習った。中三で世界が出て来て僕は平安時代を語ることよりも大事なのは明治から大正、そして昭和の開戦だと思ってここに重点を置いていた。しかし父はこの大戦に至った動機を教科書と同じ理由で終始するにとどめる。時代は閉塞感に満ち溢れていた。日本は世界の中で孤立状態に陥る。石油の為に言わば開戦に至ったのだと....。父の綻びを修正出来るのは僕達の踏ん張りや努力や研究ではないか?とあたりを付ける。父達はどこかで嘘をつかざるをえない状況だったのでは??父だけではなく、国民のほぼ全員が開戦のことを知らなかったことを思えば、踏み込む価値はある。