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 僕等と漢字で振れば等しいと出て来る。この等分の等が僕は格別に好きだ。最優秀の秀逸ではなく僕等はいつも平等でありたい均一。そこでの意識は中流に集まる大多数の人の意識や考え方とは違うと推定する。僕達は何かを等分して持たされているという時代認識で、この時代という言葉は実際古いは古い言い方だとは思うけど、やはり他にいいものが見つからないというのが現実である。時代イクオール英訳では?と。調べるとエイジとある。様々な外来語と共通の認識を保ちつつここまで来た僕等の認識の傾向は外来語にも成果を認めていて、もしもこの外来語、すなわち英語がなければここまで来れなかったなあっていう民主主義的感慨はある。例えばラブだ。愛する気持ちは双方を円滑にしていくし、相手を攻め立てる姿勢からは未来に通じる可能性も希薄であってやがて絶たれてしまう。愛ってなんだろう?ってもう一回分析に立つコーナーがあっても良さそうだ。金ばかりに拘り、利益ばかりを追求するのではなくもう一回、振り出しに戻って懇談の場を求める。あちらが出来なければこちらからテーブルを用意する。この心の余裕は中国にもアメリカにもイランにもない。出来れば踵を返すという日本語をここで解読して貰えれば僕としては大成功!!ビッグサクセスだと捉えている。月にまで行こうとしている人類がこんな経済戦争ごときで血迷ってはいけない。宇宙人に笑われるというものだ。