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 僕は母の採っていた手法をいきなり思い出す。すぐに僕が欲しかったエアロバイクが見つかって、ドンキで交渉に入る。小学生の頃、僕は母がこの交渉を始めるといつも、やれやれといった思いに追い込まれたものだが、今思うとリーズナブルで新鮮。特に超高齢化社会を前に母の採った手法こそが、アタリキ路線ではないか?って頭に浮かんだのだ。14000円位としておこう。その室内エアロバイクはずっと店内に展示してあって、両手を掛けるカバーのスポンジも一部取れて、そこに僕は眼を付けた。この破れを当時の母は値引き交渉のパートナーにしてどこの電化屋でも展示品を購入していたのだ。例えば僕の実家にあるシャンデリア。これも展示品で、母はいつもみんなに自慢していた。しかし同伴して購入した僕には値引きしている場面を見るのは実は億劫で辛かった。金がないならわかる。立派な商業行為だが、金はあるのにこういう強引な交渉を見る時に、心の底で嘆かわしく、この手の嫁さんは絶対に貰うまい!!って決心に似たものが定着していった。一度や二度ではなかったからだ。ほぼ全部の電化をそうやって購入した母もどこか日常生活で、どん詰まりを感じていたのだろう。いわゆる、閉塞感だ。店員と闊達な会話を展開することで母は命の洗濯をしていたのかもしれない。