Ss111

 日曜日のアクアマリンマンが僕だと思っている人々もいるかと思うが基本、全員同じ人物だ。そこが結構ミステリーで多重人格とはまた違ったペーソスのもとにある。我々が例えば同じ事柄にぶつかった時に、abcdefgと七つの抵抗を見せたり、或いは対処を見せたりすることを事例に取れば分かり易い。ひとつの事象に対して人によって対応は分かれる。そこが面白みもあるし、ペーソスもある。味があるといっても差支えはない。いきなりだが、子供同士が喧嘩するとする。親にも何通りもの思案は浮かぶ。結果対応はひとつか、ふたつだが、事実、七通りは考えるもの。先生に言うかどうしようか?相手が謝ってこない場合、来た場合、それとも最初からすべてを親だからこそ静観?こうやって説明するだけでも幾つもの対処例は噴出してくる。ひとりの人間が多角的な心を持っているとすればどうだろう。こうすれば良かった?ああすれば埒は意外にも速く開く?って。僕はアクアマリンの青年と同じ人間でありながらアクアマリンには勝てないとそう思う瞬間がある。設定だ....。設定6を与えられた人間と設定2の人間はスロット機と同位に差異がある。幾ら僕は踏ん張って設定6を超えようとしても難易度はさらに容赦なく二人を遠ざける。僕は作者の位置がようやく手に取るように解ってきた。作者には設定をいじれる優越枠がある。そういう意味でアクアマリン機には特別の配慮が仕掛けられている。